世の中には様々なルールがありますね。法律や条例をはじめ、社内規則から夫婦間の約束事まで、細かいものを含めると無数にあります。そんな中、よく話題になるのが小・中学校の「なんじゃこら校則」です。私の小学校では、「廊下を歩くときに、靴の裏を見せてはいけない」というルールがあり、いつもすり足で歩いていたことを覚えています。なんて狭い世界観で生きていたのだろうかと、いま振り返ると思わず笑ってしまいます。

 さて、そもそもルールとは、いったい何のために存在するのでしょうか。色々な表現があると思いますが、関わる全ての人が安心して共存できるように、とでも言いましょうか。そういう目的があるからこそ、時には堅苦しく感じながらも人はルールを守ります。つまり、ルールは目的を達成するための「手段」であって、「目的」そのものではありません。

 ところが、「ルールは守るためのもの」と言わんばかりに、手段に過ぎないルールに盲目的に従う人間は少なからずいます。特に我々日本人は、根が真面目なのか決まりごとは無条件に守りがちです。表面的には、礼儀正しく民度が高いようにも見えるのですが、それは思考停止状態と表裏一体です。ルール順守の大前提として、「そもそもそのルールが適正なのか?」という思考は必須ですね。

 我々社労士は法律と向き合うのが仕事ですが、まるで目的を見失ったかのような「誰も幸せにし得ないルール」に出会う時があります。それもそのはず、労働基準法は今から70年以上も前に制定されたもので、何度か改正されているとはいえ前身の工場法臭が未だに絶えず、時流の激しいこのご時世に合うはずがありません。

 だからこそ、いま我々社労士が強く求められているのだと思います。法律家の端くれとして法律は順守しますが、ただ単に決まり事を守るだけの専門家になるつもりはありません。現実と法律の乖離をどう着地させるのか、そこに頭を悩ませ、汗をかき、その繰り返しなんだろうと思います。同時に、目的のないルールは変えていかなければいけませんね。社労士会の一員として、もっともっと声を上げていかなければと思う今日この頃です。


 

大阪支店長 𠮷村 徳男