2年ぶりに開催された夏の甲子園。決勝は智弁和歌山と智弁学園の「智弁対決」となり話題を呼びました。まるでひとつのチームが試合をしているように見えました。実際は袖章と胸に描かれた「智辯」の自体がほんの少し違うのですが画面越しだとなかなか分かりませんよね。

 今年の大会はコロナ感染による出場辞退、大雨によるコールドゲームや大幅な日程の遅れなど運営面でも大変な大会となりました。運営元は言わずと知れた朝日新聞社と日本高野連でその旧態依然な体質に対しての批判は以前にも増して大きくなっている気がします。私も個人的に思うことはありますがそれはさて置き、運営にあたっての仕組みづくりを行ううえで、携わるすべての人の賛同を得ることはそうそう容易ではないということを改めて考えさせられた大会にもなりました。

 しかし、通常予想されるよりも多くの批判が集まるということはよろしくありません。組織がなんのために存在しているのか、目的はなんなのか、誰にフィーチャーした取組なのか、このあたりにグレーな部分が垣間見えたときに不信感や嫌悪感が生まれるものです。

 これは会社経営にも同じことが言えるでしょう。規模にもよりますが、基本的にはトップもしくは経営陣によって仕組づくりは行われます。私利私欲はもとより、特定の誰かや何かではなく組織全体のことを考えて決定されなければなりません。高野連に対して、「高校野球の主役は各校野球部と選手たち、そして各学校のはずだ。現場の意思に寄り添わない組織が権威となって君臨しているのはいかがなものか」という批判からもそれがマストであることがわかります。

 企業において主役はそこで働く従業員ひとりひとり。経営者として肝に銘じなければならないことですが、基盤が崩れてしまっては元も子もありません。働く場所があって初めて生まれる労働力(従業員)であるなら、裏を返せば組織の存続(繁栄)はこれまたマストです。

 めまぐるしく変化していく現代においてましてやコロナ禍、あらゆる角度から物事を捉え決定していかなければならない経営者の苦労は想像に耐え難いものがあります。それと同時に働く側としても、当事者意識というか自分が主役だという意識を高く持ってもらいたいものです。

 こんな時代だからこそ労使融合によって生み出される相乗効果が組織の底上げにおいて重要な要素のひとつだと思っています。

 

福岡支店長 城戸 康行