「○○すれば○○歳若返る!」こんなフレーズを一度は目にしたことがあるでしょう。若さを求めた様々な健康法や雑誌が世にあふれていますね。「若さ」への執着なのか、あるいは「老いる」事実への拒否なのかは分かりませんが、最近はこの傾向が特に強い気がします。

 人事の世界においても、年齢に対する対応は顕著です。今まで主流だった年齢給・勤続給は続々と廃止され、実力主義・成果主義へとシフトしています。業績が右肩上がりのバブル期ならまだしも、なぜこのご時世にただ年齢を重ねるだけで給与が上がるのか?という思いは共感できますが、それが適正に機能するかは業界業種次第なところは大きいので、やみくもに廃止するのもどうかとは思いますが…

 それにしても、世の中全体に「老いる=悲しい」という公式が成立している雰囲気を感じますが、一体いつからそうなってしまったのでしょうか。はるか昔の江戸時代、江戸幕府の最高権力者は「大老」、その下に「老中」と、国を取り仕切るような大人物にこそ「老」の字は充てられていました。現代とはイメージが真逆ですね。

 現代では老いることが何か一方的に失っていくようなイメージですが、正しく齢を重ねている方にお会いすると、そんな感覚は一蹴されます。視野の広さや思考の深さなど、人生経験の浅い人間が逆立ちしようが仲間を集めようが到底かなわない、そんな経験はありませんか?結局のところ、人次第ですね。適性に齢を重ねている人は、人間的にどんどん磨かれていく。かたやただ齢を重ねている人は、中身がなく失われるものばかりが目につく、ということだと思います。

 いずれにせよ、日本はこれから高齢労働者や人手不足の問題がさらに加速していきます。社会が、会社が、個人が齢を重ねるということに対してもっと向き合っていかなければいけませんね。働き方改革のように、齢の重ね方改革こそ必要な気はします。

 私にとっては、齢を重ねることは無上の喜び。老いるという現実に心を乱されることもなく、毎年楽しみながら着々と齢を重ねています。自然の摂理に逆らうようなもったいないことは考えず、日々成長しながら、年齢相応の人生をその時々で楽しみたいなあと思う今日この頃です。

 

大阪支店長 吉村 徳男