先日、品川駅近くの某ホテルに宿泊しました。そこは、部屋はともかく朝食が本当に素晴らしくて!ありがちな和洋バイキングではなく、オリジナルの固定メニュー。そして、質・量・サービスともに最高のもので、久しぶりに印象に残るホテルとなりました。
朝食の内容はさておき、「これが当ホテル最大のもてなしだ!」と言わんばかりの、ある種のごう慢さと顧客満足度を最大限にしたいという思いが同居していて、絶妙なバランス感覚の朝食。これを味わうと、通常のバイキングが迎合的で表面的にも思えました。
もちろん、何を望むかは人それぞれです。ホテルからすればバイキングは最大公約数、誰に対しても最低限のモーニングは提供できます。でもそんな守りのサービスでは感動もなくて…結局は何を最優先にするかというところでしょうか。少なくとも私にとっては、あれこれ選べるありきたりなバイキングよりも、これだ!と指定される朝食が最適でした。
しかし、選択の余地がないことがこんなに心地いいとは…最近は何かと選択肢が多すぎて、「テキトーに!」と言いたくなる場面がありませんか?例えば、ラーメンを注文すれば味以外にも細さは?硬さは?こってりorあっさり?…それが嬉しい場面もありますが、こだわりのないものにまで多数の選択肢を求められると、結構うんざりしてしまいます。
基本的に選択肢はあった方が良く、あればあるほど自由度が高いとも言えるのでしょう。でも選択肢が増えすぎると、人はかえって決断できず、その機会を放棄しだします。自ら選択するより、誰かに与えられた方が圧倒的に楽ですからね。ある程度の選択肢さえ与えられていればよくて、必要な選択肢の数は人により場面により、当然バラツキがあります。
結局、いま国家間での対立が続いているのもその自由度の問題ですね。民主主義や専制主義とも言いますが、どこまで人に選択肢を与えるのか、自由と規制、性善説と性悪説。専制国家では、選択肢はむしろ少なくていいと考える国民も多く、世界共通の絶対解はないのでしょう。いかなる場合も選択肢が多い方が絶対に良い、とは私も思いません。
社会の多様性が進むほど、テクノロジーが進化するほど、今後あらゆる選択肢はより増えていくのでしょう。だからこそ、日常生活のあちこちに潜んでいる「選択の余地がない心地よさ」を感じる機会も増えるかもしれません。そんな機会に遭遇すれば、それはそれでぜひ楽しんでみて下さい。ふっと肩の力を抜き、そんなささいな機会すら素直に受け入れて大いに楽しむ、そんな人生を送りたいなと思う今日この頃です。
大阪支店長 吉村 徳男