先日コロナ特措法の改正案が提出されました。政府・与党は2月初旬に成立、同月中の施行を目指すとのことですが、これにより緊急事態宣言下で都道府県知事の営業時間短縮・休業の命令に違反した事業者に行政罰として50万円以下の過料が科されることになります。その他にもまん延防止等重点措置や感染症法改正等、仕方がないとはいえ罰則や罰金が目立つ内容となっています。当然ながらこれをもってコロナが収束するわけではなく、日々のストレスは増える一方ですね。
日本社会で「ストレス」という言葉が使われるようになったのは、戦後の急激な社会変化の渦中にあった1950年代末。「グラマー」、「有楽町で逢いましょう」といった言葉と共に1957年の流行語にもなっています。ただ、ストレスという言葉が今のように社会的に定着したのはバブル期に突入した1980年代のことでした。
その後ストレス社会という表現が板についてしまった現代ですが、厚生労働省が行っている「労働安全衛生調査(実態調査)」によれば、「仕事や職業生活でストレスを感じている」労働者の割合は毎年60%程度となっており、働く人の約6割はストレスを感じながら仕事をしている状況と言えます。
さて、話題にあがる時はそのほとんどがネガティブな使われ方をするストレス。極端に過度で慢性的なストレスは精神疾患に代表されるように心身に大きなマイナス影響をもたらす場合があるので出来るだけ避けるべきですが、「適度なストレス」は人が成長するうえで必要だと思っています。ある研究で、幸せな環境にいたねずみと適度なストレスを与えたねずみとでは、後者のほうが体も内臓も大きく抵抗力も高いという結果も出ています。
また、こんな(例え)話があります。
人がまだ原野で生活していた時代、狩りに出かけた際に運悪く大型のケモノに出会ってしまう。その瞬間、体中に酸素を送るために心拍数が上がり、力を発揮するために筋肉が固くなり、相手の動きを見逃さないようにまばたきの回数が減る。まさに緊張状態に現れる体の変化は生き残るための準備だということです。
現代ではこのような生死のかかった場面はほとんどありませんが、程度に差があるとはいえ、対人関係や仕事・生活などにおいて様々な困難に直面します。緊張によるストレスは、これら様々な困難を乗り越える反応を引き出すスイッチというわけです。
まだまだ長引きそうなコロナ禍。日常生活において思うようにならない日々が続いていますが、ただストレスを否定するのではなく取捨選択しながらうまく付き合っていけるようウィズストレスを実行していきたいものです。
福岡支店長 城戸 康行