SNS等でバッシングが加熱したり、人権問題で非難合戦が起こったりと、最近は本当に「他者を攻撃する」様子をネット上でよく見ます。そしてその影響は、ネット上だけでは収まりきらず、当然のことながら生身の人間への刃となり、心や身体を――ときには命さえも――傷つけ、奪うことになります。ネット特有の「匿名性」を隠れ蓑に、欲求不満のはけ口として、ほんの些細な気持ちで攻撃的な投稿をするひとたちで溢れています。

 それらの幼稚な攻撃性ももちろんですが、最近私が特に気になっているのが、想像力の欠如です。

 例えばアメリカで起こった”Black Lives Matter”そして“MeToo”や“KuToo”等の運動、さらに「選択的夫婦別姓」の問題。そして最近では「日本学術会議」にまつわる問題。それらにまつわるSNSの投稿の中には、

 ――Black Lives Matterに乗っかるなんてただのファッションだろ?
 ――日本人はそんなことより他のこと考えるべきじゃないか
 ――それはただの女のわがままじゃないか
 ――夫婦が別姓だと子どもがかわいそうだ
 ――日本学術会議なんて昨日まで知りもしなかったくせに

 上記のような攻撃的な意見が多く見られました。いずれの問題についても様々な意見があって良いと思うのですが、上記のような意見を目にするたびに、「もしこの人達が当事者だったら、いったいどうするつもりなんだろう。」
と思わずにはいられません。

 例えば、自分の大切な家族がどこか外国へ旅行へ行き、そこで「日本人だから」という理由で警察に拘束され、虐げられ、殺されてしまったとしたら?
 あるいは、今日から男性従業員は全員ヒールの高さ5cmのパンプスを履くようにと命じられたとしたら?

 果たしてそれでもまだファッションやわがままだと言えるのでしょうか。

 会社やチームの中でも同じです。想像力が上手く働くメンバーが多ければ多いほど、柔軟で優れた組織になる様子を、私自身、たくさんのクライアント企業を通じて見てきました。

 想像力というのは一朝一夕に鍛えられるものではないですが、日頃から自分本位になっていないか、他者はどのように感じるだろうかと心がけることで伸びやかな感性を育むことはできると考えます。

 知識や技術で競合他社に勝るのも良いですが、「誰よりも想像力に溢れた従業員ばかり」というのも、我々が目指す「百年企業づくり」へのひとつの道筋なのではないかと思うのです。

 

兵庫支店長 増尾 倫能