「なぜあの人だけが…」「なぜ私だけが…」世の中は理不尽なことだらけです。

 

 ではなぜ私たちはそう感じるのでしょうか。

 

 さまざまな理不尽の根元になっているのが、自分と他人との非対称性と言われています。私たちは、「自分が他人に対して考えていること」は、「他人が自分に対して考えていること」と同じであるという錯覚をしています。もちろんこのことに全く自覚がない人はいないと思いますが、一般的に考える何倍もその傾向があることを認識している人は少ないのではないでしょうか。新幹線の福岡~東京間と東京~福岡間は距離も時間も運賃もほぼ同じですが、クリスマスからお正月までの日数とお正月からクリスマスまでの日数は大きく違います。これを対称だと錯覚し、「お正月以降、いつまでたってもクリスマスが来ない」と嘆いてもそれは当然です。自分→他人と他人→自分の関係もクリスマスとお正月の関係と同じと言えます。

 

 このような対称性の錯覚が「なんで分かってくれないんだ!」というコミュニケーション上の理不尽さに繋がったり、「なぜ自分だけ割りを食うんだ」という公平性に関する理不尽な思いに繋がったりしていると考えられます。

 

 そもそも「理」というのは世の中がそうなっているという「摂理」のはずです。そうであるにもかかわらず、理不尽なことが溢れているとすれば、それは逆に私たちが「理」と思っていることが実はそうでないと考える方が自然なのかもしれません。昔はセクハラやパワハラが当たり前のように横行していましたが、SNSの急速な普及によりこれまで泣き寝入りしていた人が声を上げるようになり、社会問題として広く認知されることとなりました。なんて良い話でしょう。しかしその後どうなったかというと、これ見よがしに無数のハラスメントが生まれ、最終形態ともいえる「ハラハラ」まで出現しました。まさに理不尽を解消する行動が新たな理不尽を生んでいる状況ですが、人対人である限り当然の展開とも言えます。

 

 「そんな元も子もないことを」と思われるかもしれませんが、決してネガティブな話ではなく、良い意味で達観するというか、肩に力が入り過ぎないようにすることが大事だと思っています。ガチガチのフォームでは打てるボールも打てません。到底太刀打ちできないものは我々凡人には端から無理なので放っておきましょう。生きていればいろんなことがありますが、日々感じる些細な理不尽やそこから派生する虚無感に対して、一気にとは難しくても一歩ずつなら対処していけると信じています。

 

 思い通りにいかないときや壁にぶつかったときは、必要以上に周囲の言動や行動が気になったり、時には気分を害したりすることもあるかもしれません。無論私も例外ではありませんが、そういう時こそうまくセルフコントロールしていきたいものです。

 

福岡支店長 城戸 康行