世の中のいざこざの因(もと)となるのは、奸策(かんさく)や悪意よりも、むしろ誤解や怠慢だね。

 

 これはドイツの文豪、ゲーテの小説「若きウェルテムの悩み」の中にある言葉ですが、人間関係のこじれというものは、些細なことが原因で始まるものが大半のように思います。悪意のかたまりのような人物がいて、「あいつとあいつを喧嘩させよう」と奸策して起こるケースなど滅多にないのではないでしょうか。どちらか、または双方がコミュニケーションを怠らなければ、防げたいざこざはたくさんあると言えます。

 

 職場におけるコミュニケーションの必要性が各所で叫ばれるようになって久しいですが、動物界で唯一言語を話せる人間の場合、言葉のやり取りなくしてコミュニケーションは成立しません。ゾウやイルカなどコミュニケーション能力に長けた動物はいますが、彼らが行うコミュニケーションの目的は主に生きていくためのものであり、相手を思いやるとか知るためのものではありません。むしろ感情を相手に正確に伝える術など持ち合わせていないため、体の動きや鳴き声など、まさに「動物的な勘」を頼りにするしかないのです。

 

 セクハラ・パワハラを始め、今や50を超えるハラスメントが出現したことによりコミュニケーションに関する悩みが尽きない昨今、大々的に取り上げられてはいないものの、部下との距離感に悩み心を痛めている上司が急増しています。仕事をするうえで行き過ぎたコミュニケーションは不要なのも事実。しかし、仕事をするうえで絶対的に必要なコミュニケーションもあり、ここは本当に悩ましく思っている方も多いのではないでしょうか。

 

 私の場合、相手の立場に立って物事を考える力が不足していると自覚しています。加えて言葉を省略しがちなため認識の違いや誤解を生んでしまうこともあります。皆まで言わなくても理解してもらえるだろう、行間を読んでもらいたいという願望がそういった行動を取ってしまう原因だと思うのですが、もちろんここに悪意はありません。しかし、結果としてすれ違いや誤解を招くのであれば改めなければなりません。しかしながら、どうしても自身が描く理想を優先してしまう傾向があるようです。これも一種の怠慢なのかもしれません。

 

 私にとって非常に難しい課題ですが、まずは現実を軸として考え、そのうえで理想を追い求めつつも幻想に溺れないようにしたいと思います。方法は無限にあるはずです。幸いにもストレス耐性は強いほうなので、いや、だからこそ自身のためにも、次なるリーダーのためにも率先して実験台になるべきですね。

 

福岡支店長 城戸 康行