「我々は人事労務の専門家である以上、顧問先からの質問に対して、『~と思います』といった曖昧な表現はできるだけ使わないように。」
これは、私が新人の頃に先輩から指導を受けた言葉になります。
確かに、正確な答えを知りたいとき、こういった明言できない回答をしてしまうことは、相手に不安や疑念を生み出してしまうため、本来は避けるべきです。特にそういったことが連発してしまうと、信頼性が低下し、信頼関係そのものが揺らいでしまいます。ただ、そうとはいえ、話の中での語尾に無意識についてしまっていることもあり、なかなか難しさを感じているのも事実です。
こういった場面での曖昧さは不必要なものかもしれませんが、曖昧さというものは、私たちの生活において広く存在しています。言葉の解釈、意見の相違、将来の不確実性などは曖昧な状況を生み出しています。ただ、一見すると、混乱を招くおそれがあるもので、避けがちに捉えることが多いのですが、思考の柔軟性や創造性を奨励し、新しい理解を生む可能性が秘められています。
まずは法律というものについて考えてみます。法律の文言が曖昧である場合、異なる解釈が生まれ、それが様々な立場からの視点を尊重する機会となります。こうした曖昧さがなければ、単一の解釈として定められ、意見の多様性が排除されかねません。
芸術や文学においても、曖昧さは価値のある特性といえます。曖昧な表現が作品に含まれることで、観客や読者は自らの経験や感情を投影し、独自の解釈を見つけ出すことができます。これによって、作品は単なる一方的なコミュニケーションから、多様性に満ちた相互作用の場に変わります。
他にも、曖昧さがもたらす状況や感情は、私たちが目の前にする不確実性なもの、未知なるものに対する個々のアプローチに良い影響を与えます。例えば、仕事の選択において未知の領域に踏み込むことは、将来のキャリアに対する新しい視点を提供します。もし、安定性や確実性ある選択を求め続ければ、未知の扉を開けることはできませんが、その扉を開ける勇気があれば、新たな可能性が広がることになり、その後失敗や試練があったとしても、それが成長や学びの機会になるかと考えます。
そうはいっても、曖昧さというものは、日常に置いて避けがちな要素かもしれませんが、その境界には探求心や柔軟性が広がっています。これを受け入れ、曖昧な状況に向き合うことで、新たな視野が開かれるはずです。
我々の日常業務や日々のコミュニケーションにおいて、白黒はっきりつけないといけない場面も往々にしてありますが、時と場合によっては、この曖昧さをうまく活用しながら、自身の成長、組織の成長へと繋げていきます。
大阪支店長 東 武志