変化への対応

支店長コラム

 人々のライフスタイルは大きく変化し続け、以前の常識は通用せず、逆に以前は常識でなかったことが今は常識となったことも多い時代になりました。

 「十年一昔」という言葉がもはや死語同然となった現代。AIをはじめとするテクノロジーの進化は目覚ましく、もはや三年一昔、いや一年一昔とも言える世の中です。身近なもので例えると、今さらですがスマホの普及とそれに伴うSNSの発達でしょうか。世界中の人々が言わば簡単に繋がることが可能となり、これによって個人単位、とりわけ普通の生活を送っている一般人の言動・行動が世間を一喜一憂させることもしばしば起こっています。顔も名前も知らない人の発言を、これまた顔も名前も知らない人々が反応し、同調し、批判する。そんな世の中を誰が想像したでしょう。

情報化社会のメリット・デメリットについて、あえて触れませんが、これだけ巷に情報が溢れかえっていると、何が正しくて何が間違っているかの判断は容易ではないですし、むしろ正誤の見極め自体ナンセンスになっている気がします。目に触れた、耳に入った情報のほとんどを個人の感覚で正誤に振り分けているように思います。日々膨大な情報が入ってくる時代、ひとつひとつの物事をわざわざ「これは本当か否か」と思って調べ上げる人はそういないでしょう。

 ですが、場所を「職場」というコミュニティに置き換えると話は変わってきます。社長と従業員、上司と部下、同僚等。この関係性においては、同調するにせよ批判するにせよ、お互いがお互いのことをリスペクトする必要があると思います。

 「今どきの若い人は」という言い回しがいつまでも無くならないように、年齢層に大きな差がある場合に生まれる考え方の違いは確かに存在します。人は往々にして、自分が経験してこなかったことに対して違和感や嫌悪感を抱く傾向にあります。また、それが未経験のものではなく、経験したことがある場合、それが自分の記憶とは違うものと感じたときはなおさらかもしれません。ですが、いつの時代もこの言葉の発信者は、その昔「今どきの若い人」と呼ばれていた人々。このことからも、自分の経験則から物事を判断している人が圧倒的に多いということになります。これは決して間違いではなく、むしろ自然なことでしょう。ただ、間違いではないけれど、時として必ずしも正解とは言えません。

 他人の行動や言動、または物事の性質を分析する際に、まずは肯定的な観点で捉えるのか、否定的な観点で捉えるのかによって抱くイメージは変わってきます。最終的には各々の持つ感覚や価値観で答えを出すことになりますが、そこに至る経緯はより慎重に行なうべきですし、冒頭で述べた世の中の常識の移り変わりを考慮に入れる必要もあります。時代の変化に伴う思考の変化、そんな柔軟性がこれからは大事になってくるのではないでしょうか。

 

福岡支店長 城戸 康行