日本人はつくづく「背中」好きだなと感じることがあります。子は親の背中を見て育つなんて言いますが、背中にこめられた思いというのは、日本独特のものではないでしょうか。背中=憧れでもあり、背中を通して漠然とした将来の姿をそこに見出すのでしょうね。

 どうもこれは日本人のDNAに刻まれている気もします。歴史的に見ても中国や欧米の背中を見て文化・経済を発展させてきた経緯がありますので、背中を見て「追いつけ追い越せ」とがむしゃらに頑張るのは本当にお手のもの。社会情勢に合えば、一致団結してとてつもない力を発揮します。大量生産大量消費のバブル期がまさにそれですね。

 しかし、バブル期を経て世界の頂点にたった瞬間に、追いかけるべき背中を見失い、方向性に迷いズルズルと後退します。背中を追いかけながらも、追い越した後の構想、つまりオリジナリティに欠けていましたね。今も昔も変わらぬ日本の課題ではないでしょうか。

 そして、いま人事の世界でも同じようなことが起こりかけています。先行している欧米で定着している「ジョブ型」を導入しようという流れです。このジョブ型は確かに優れた面もありますが、そのまま直輸入してもほとんどの日本企業は消化不良を起こします。前提となる国事情や文化の違いも問題ですが、そこにはより本質的な問題があります。

 それは、時代の変化に弱いということ。欧米でジョブ型が普及したのは産業革命後の工業社会全盛期です。大量生産型システムのもとでは、会社全体の業務をブレークダウンして一人ひとりの職務を定義して担当させるのが効率的でしたが、今や経営環境の変化は激しくなり、企業の業態も業務内容も急速に変わります。当然、そうなると社員も環境変化への柔軟な適応が求められるので、職務内容を細かく定めて契約するジョブ型では対応しきれません。実際に、近年は欧米企業でも細かすぎる職務ランクの見直しが行われています。

 もういい加減、ただ漠然と背中を追いかけるのはやめたいものです。各企業は流行に踊らされず、自社にどんな制度が最適なのかを見極め、必要に応じてジョブ型を修正して導入するといった柔軟さが必要ですね。企業の数だけその「在り方」があるはずです。

 かくいう私も、やっぱり背中好き。背中で語る故高倉健さんは憧れですし、あるいは元サッカー女子日本代表の澤穂希選手の「苦しい時は私の背中を見て」という言葉を聞いたとき、リーダーとはかくあるべきかと衝撃を受けました。この発言を裏付ける努力の量はいかほどか…背中で引っ張れる人間になりたいと思う今日この頃です。

 

大阪支店長 𠮷村 徳男