今年もすでに1か月以上が経ちました。歳を重ねるにつれて1年が経つのが早く感じると言いますがまさにその通りで、ジャネーの法則にもあるように、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く感じるものです。

 

 生きてきた年数によって1年の相対的な長さが違うので当然ですが、それにしても本当に早いですね。12分の1か月がこんなスピードで過ぎていくのかと思うと、残る12分の11もあっという間でしょう。恐怖すら覚えます。

 

 さて、今年も年末年始は例年通り熊本の実家で過ごしました。長期休暇となると日ごろの生活とはうってかわって夜な夜なダラダラと過ごしてしまうのですが、ふとテレビを付けると、「朝まで生テレビ!~元旦SP~」にて有識者達が激怒中、もとい激論中。ついつい見入ってしまいました。

 

 今さら説明は不要かもしれませんが、この番組は社会的に賛否の分かれるテーマに対して学者や評論家、弁護士やジャーナリスト、ブロガーやタレントなど様々なバックグラウンドを持つ人が集まり討論を行う番組です。元旦スペシャルともなると出演者の人数も多く、逆に多すぎて収拾がつかない場面も多々見受けられましたし、なにより出演者の自己満足とも取れる知識披露タイムは見ていて何とも言えない気持ちになります。各界の有識者でありながらなぜ先に結論を述べるという基本的なことができないのでしょうね。

 

 テレビ番組という性質上、また田原総一朗さんを司会に抜擢し続けている事実からも、制作サイドとしては今後の日本をどうすべきかを真剣に討論させながらもエンタメ要素を残したいという思いがあるのでしょう。まあそれを差し引いても見るに堪えないグダグダな時間もありましたが。

 

 その道に精通している人、またその自負がある人はどうしても譲れない領域があるのでしょうね。自分以外の人が話している時間は理解しようとすることには使われず、反論用の知識整理に充てられているようにさえ思えてなりません。確かにこの番組は議論ではなく討論を行う番組。議論が「グループ内で協力して1つの結論を出すこと」であるなら、討論は「賛成派・反対派で分かれ、それぞれが有利なように主張し合うこと」です。そう考えると理にかなっているのかもしれませんが、だとしても、まずは理解しようとする気持ちやそれ以前に相手の話を最後まで聞くという根本的な人としての姿勢は必要かと思います。

 

 今後日本はどうあるべきかといった壮大なテーマはさて置き、私自身、日々の業務を行う中で直面する課題に対して、または福岡支店の未来や協心全体の未来について定期的に議論を交わす場に参加しています。意見を述べずただじっとしていることは一番避けなければなりませんが、同時に決して自己顕示欲を満たす場ではないことも心得ておく必要がありますね。

 

 相手に思いを伝えることや理解を求めることと知識の披露は別物です。政策や方針の方向性、関わる人の立ち位置や関係性など要素は様々ですが、討伐そのものが目的にならないよう気を付けたいものです。

 

福岡支店長 城戸 康行