人々が親切、礼儀正しい、思いやりがある。

 ある調査によると、外国人が日本に対して抱くイメージとして、来日前は「豊かな伝統と文化を持っている」、「科学技術が発達している」、「都市の景観が美しい」など他にも様々な項目が上げられ、国によって上位も入れ替わりますが、来日後はというと、冒頭のことばが断トツで1位となっています。“お・も・て・な・し”の心を重んじる日本人として誇らしい結果ですね。

 日本文化の伝統ともいえるこの“おもてなし”。端的に言うなら、「相手への思いやりを、しぐさや振る舞い・行動に移して表現すること」でしょうか。とてもすばらしいことですが、いつのころからか、この「思いやり」が本来の意味とはかけ離れて独り歩きしていると感じることが増えてきました。

 本当はこうしたい、こうあるべきだと思っていることでも状況的に言い出せなかったり行動に移せなかったりすることってありませんか?これは相手を思いやるというより、自分が相手からどう見られるか、つまり主語は自分で、優先順位も相手よりむしろ自分が先になっているのではないでしょうか。

 では自分が先なのがダメかというと決してそうではなく、むしろそれが自然なことかもしれません。ですが、和を大切にすると言われる日本人・日本社会においてこれが許されない風潮になっています。まさに「和」という名の同調圧力とでも言いましょうか。誰がどう考えても個人的なわがままでしかない事柄ならともかく、そうでないものも潰されるような社会であってはなりません。

 「出る杭は打たれる」ということわざは日本独特のものです。他の国でも似たようなことわざはあるものの、まったく同じ意味では使われていません。

 ちなみに、アメリカにはむしろ真逆のことわざがあります。

 The squeaky wheel gets the grease(音をたてる歯車は油をさしてもらうことができる)

 これは、自分の意見をきちんと言えば話を聞いてもらえるという意味です。逆に言うと、素晴らしい意見を持っていても発言しないことには相手には伝わらないということですね。

 人の和を大切にするということは、自分の気持ちを押し殺し周りに合わせるということではなく、周りの人の気持ちを思いやりながら自分の意見を述べ、相手の意見を聴き、お互いの意見を尊重したうえで妥協点を探し、協調することだと思います。

 真に和を重んじる人は、むしろ和を乱すように見えることもあるでしょう。しかしながら時として必要なものですし、なによりその人の本気度は周囲に必ず伝わるはずです。私も常に意識しておきたいですし、周りのメンバーが臆することなく発言・行動できる環境を築いていかねばと思います。

 

福岡支店長 城戸 康行