多くの人は、自らの振る舞いが周囲に与える影響の度合いを知らないものです。正確には見誤っていると言ったほうがよいかもしれませんし、もともと考えていない人もいるかもしれません。もちろん受け手側の捉え方にも個人差があるので一概に決めつけはできませんが、いずれにせよどんな人であっても、関係性の濃密加減にかかわらず影響を与えていることは確かです。

 

 かく言う私も「多分このくらいだろう」と思っているレベル以上に影響を与えている可能性も十二分にあり得ます。普段から身の振る舞いには気を付けているつもりですが、時として感情に任せた振る舞いをしてしまう瞬間があります。それはまさに一時的な発散以外のなにものでもなく、私の立場上それは間違いなく“不要な”もの。加えて周囲のほとんどの人にとっては不快な光景でしかないため良いことなど一つもありません。

 

 さて、「無自覚の悪意」という言葉をご存知でしょうか。
その昔、阿難というお弟子さんがお釈迦様に「悪いと知りながら造る罪」と「悪いと知らずに造る悪」とどちらが恐ろしいと思うかと尋ねました。それに対してお釈迦様は、「悪いと知らずに造る悪の方がより恐ろしい」と答えています。悪いと知りながら造る罪の方がより重いように思いますが、お釈迦様は悪いと知らずにやる罪の方が恐ろしいと説いています。

 

 無自覚とは、気付いていない、感覚がない、意識がないことです。つまり、無自覚によって他人が傷ついても「無自覚の悪意」を持った人は悪いと思っていませんし、むしろ善意と考えている可能性もあります。自覚のある悪意は、悪いことをしている自覚のもと悪事を行なったり持ったりすることで、少なからず意識があって行う悪ということです。まあこれも許容できるものではないですが。

 

 一方で、無自覚と言うことは当たり前に行ったり考えたりすることです。そこには罪の意識も良心の呵責もありません。実に恐ろしい行動ですが、時と場合、または相手によってはみなさんもそのような行動を取っているかもしれません。気付かせてくれる(指摘してくれる)誰かが近くにいればありがたいですが、なかなか他人が介入しづらいことなのでやはり常に自分を律するというか、意識しておくことが何よりも大事ということでしょうね。

 

 上半期が終わり、今年度も折り返し地点を迎えました。おかげさまで仕事に恵まれ、多忙な日々を送っています。恵まれすぎて忙殺されそうになる瞬間もありますが、そういう時こそ周りを意識した振る舞いをしていこうと思います。

 

福岡支店長 城戸 康行