私の野球人生は……、と言っても特段輝かしい功績などありませんが、小学校4年生から高校3年生までの9年間のほとんどを野球に捧げました。その過程で3人の全く異なる指導者と出会い、彼らから多くの教訓を学びました。
少年野球チームの監督は、町の自転車屋を営む非常に厳しい人でした。その厳しさは時に恐怖ともなり、チームのほぼ全員がその顔色を伺いながら、とにかく言われるがまま練習をしていたように思います。
中学時代の監督は、サングラスをかけた強面の、まさに漫画タッチの柏葉英二郎そっくりな先生でしたが、野球経験はなく、体育会系スポーツとも無縁でした。練習中はバットよりも竹刀を持っていた時間の方が長かったような気がしますが、その厳つい風貌とは裏腹に、私たちとの関係は良好で、彼とのやり取りはある意味でコントの一幕のようでした。
最後に高校時代の監督ですが、学生時代は陸上部で確か長距離走の選手だったと記憶しています。野球は未経験でしたが、本当に真面目な人でいつも熱心に野球の勉強をしている方でした。その情熱は尊敬に値するものですが、メンバーのほとんどが技術的には未熟ながらも野球歴だけはそれなりの年数になっていたこともあり、練習方法や起用方法、作戦面で監督と衝突することも多かったと記憶しています。
ふと、歴代の監督があの時どういう思いで指導にあたっていたのだろうと考えることがあります。とにかく厳しかった小学校時代、まさに昭和時代に象徴される指導法でした。そこには個性や多様性など存在せず、全員が同じフォームでバッターボックスに立っていました。ですが、チームとしては強豪の部類で多くの大会で好成績を残しました。
中学校時代はその反動がもろに露呈し、またチームとしての戦術も特になかったので、とにかく自分たちのやりたいようにやっていました。それはそれで楽しかったですし、信頼されていると感じる瞬間も多く、そのおかげで監督とは良好な関係を築けていたと思います。
高校時代。高校生と言えば子供と大人の狭間の時期です。大人から見ればまだまだ子供ですが、私も含めて「もう立派な人間だ」と勘違いしていることも多く、とにかく扱いづらかっただろうと思います。他のメンバーは分かりませんが、私は「野球経験もないのに偉そうに」と思っていましたが、本当に失礼な話です。今振り返ると、監督の指導には意味があったと理解しています。監督とのやり取りを通じて、上手くなりたいという思いは変わらず、より良い選手、より良い人間へと成長するための努力を怠ってはならないと学びました。
そして今、マネジメントを行う側の立場となり、人の重要性がよりクローズアップされる世の中になりました。世代間の意識の違いから生じる問題が尽きることはないとは思いますが、その根本的な解決を目指すのではなく、それぞれの個性を理解し意見を尊重することで、対等な関係を築いていくことが重要だと考えています。そのプロセスとして、歴代の恩師から得た教訓や経験してきたジレンマ、反発心、これらすべてが今後の私のスタイルを磨く上で、必要な材料だと確信しています。
これらの経験を生かし、人それぞれの個性を尊重し、共に成長していけるような環境を作り上げていくことが、私の今後の目標です。
福岡支店長 城戸 康行